日々雑多(2003.6月)

■2003.6/25 梅雨

ここのところ、ずっと中途半端な雨しか降らず、それでいて暑いからムシムシ・ジメジメがつづいてヤーな感じだったが、ようやく梅雨らしくしっかりした(?)雨が降り出した。庭の紫陽花がきれいに色付いていたので撮ってみた。

このところの蒸し暑さと湿気でカビ・ダニが増えたのかどうにも布団がかゆいし、喘息の軽い発作がでる。快晴もなんだか咳をしだした。私がちいさいころからアトピー・喘息でなやまされていたので、快晴にはそうなってほしくないものである。それに、お風呂場からなんかカビっぽい匂いがするし。こんなに梅雨の時期がそんなにイヤなものだとは今まで生きて来てあんまり感じなかったし、むしろ雨降りが大好き少女だったから梅雨はどちらかといえば好きな季節だったが、母親になってはじめていろいろ「対策」をせねばいけないと自覚しだした。(遅いって?)
だいたい一人で生きていれば多少の不快感はガマンすればいいしテキトーなとこで事足りるがしかし、家の事となると家族全体に関わる。主婦・母親の責任というより、そのことで家族みんなのテンションが下がったり、ちょっとアンハッピー(?)な感じになることが自分でもなんか嫌だから、なんとかしたい、と思う。
主婦ってそういうもんなんだろうなぁ。
かつては「主婦」なんていうとめんどくさそうだし絶対イヤだと思っていた自分だったのだが(^^;

■2003.6/17 デジカメと趣味

ついに我が家もデジカメを購入した。といっても正確にはおじいちゃんおばあちゃんからの快晴へのプレゼントなのであるが。さっそくばちばちと快晴をとりまくり、購入3日目にしてもう50枚くらい撮ってしまった。それにしても、デジカメとはなんと便利なかめらであろうか(T_T)とった写真がその場でディスプレイに写せるし、失敗写真はデータ「ぽい」してしまえば邪魔にもならないし無駄な現像もないわけである。ああ、ぶんめいのりき。

さてそんななかで、ささやかながらもちまちま作ってる趣味の手作りのモノなども撮ってみた。快晴の写真はのちのち写真館の方にじゃかじゃかUPするとして、折角撮ったのでHPにUPしてみようかな。なんてじつはだいぶ以前からデジカメが手に入ったらやろうと心に決めてたりして・・・・(^^;

ネックレス・ブレスレット『ネックレス・ブレスレットのセット』。→
このきらきらしいネックレス・ブレスレットはインドの民族衣装をたくさん頂いた方にお礼に作ってみたもの。(というわけであした、お嫁にいく前に撮っといた)贈り物でなければこんだけ高い素材(スワロフスキーというたか〜いビーズ)をふんだんに使って作ることなんかないだろうな・・・というくらい私にしては高価な材料でできてます。でももっと価値のあるものを頂いたので楽しんで作らせてもらいました。

ポシェット  ←ポシェットは近所の和装やさんでたまたま掘り出したハギレを使って作ってみた。よい色です。和装のハギレでバッグは以前からやってみたかったけど、しかしたったこれだけのちっこいバッグ作るのに苦労した。なにがと言うと、ミシンの使い方である。実家から嫁入りのときにもってきたミシン。一度だけ快晴の布オムツ縫うのに使ったっきりホコリを被ってたのだが。
いざ始めてみると。「あれ?ボビンに糸巻くのどうやるんだっけ?」で悩み。「下糸がでてこーへんやんか!」で悩み。「糸がからまってすすまへん〜〜!!」で悩み。試行錯誤をかさねてやっとマトモに縫えるようになったのは出して来てから1時間以上もあとであった。やっぱ説明書はちゃんと、残しとかなあかんな。(-_-;私、家庭科の成績は中学・高校と2やったからなぁ〜・・・。

■2003.6/12 快晴の眠り方

今日は久しく一日お休みだったので家族3人で近場の滝と、温泉とに行って来た。お父さんと男湯に入って来た快晴は温泉でははしゃぎまわってその上水風呂ばっかし入ってたようで、ぱんつ一丁で飛び出してきたときはなんか体がひんやりしていた。かなりハイテンション・笑顔だったがしかし、おいおい、大丈夫かいなとゆーわけでもう一回女湯につれて行き、むりやりお湯につけこんであっため、あとは遊び出して動かぬ快晴を「ボーロあげよか!」とか「アイスたべよか!」とか、食べ物で釣ってなんとか動かして外に出す。。
しかし、月ヶ瀬温泉の人たちはお客さんも店の人もほんまにええ人ばっかりで、快晴がウダウダ泣叫んだり走り回ったり、ようわからんことばでむりやり話しかけていったりしてもみんな笑顔でいてくれるばかりか、なんか世話やいてくれはったり。人情があります。

さてそんな快晴君。最近夜は寝付く時に、ごろごろごろごろと私の体にのしかかってきたり鼻先をすりすりしたりしないと眠れないようである。そして最後には必ず、私の服をまくりあげて、お腹に耳をあてて音を聴いてから眠る。胎内にいた時の記憶からなのか、お腹の音を聴くと安心するみたいである。 まぁそれはいいんだけど、ときどき「ぐる〜〜」とか情けない音が鳴ると、「うっへっへ」とか言って笑う。まったく。失礼な。
かと思っていると、今日はしばらくして眠たくなって来ると自分からはなれて、なんとも丁寧に私の服をきちんと元に戻してから自分の枕にコテンと倒れこんで眠ってしまった。
眠いくせにちゃんと気は使ってくれてるんやなあ・・・(笑)

■2003.6/8 「タージ」ディナーライブ/激痛サンダル

いやーディナー付きライブ。いいもんですね。今日のお店はインド(正式にははパキスタン)料理のお店。インドとくればタブラということで?田中りこさんにゲストとして入って頂きました。しかし、りこさんのタブラを客としてじっくり聴いた事ないのが残念。一緒にやってるだけでも凄さはわかるのですが、いつかゆっくり聴いてみたい。だんなさん(シタール田中峰彦さん)とのライブにいつか行こう!と思いつつ約2年。ナカナカ行けないのだ・・・。
はりきって古典インドの法則「チャクラダール・テハイ」なんかちょとやってみたり・・・(本当は即興的に織りまぜるのだがインド古典初心者なので思いっきり事前に決めといてやった)
しかし途中で使うはずだったマンゴーのつぼがその前の曲の演奏中に倒れてまっぷたつに割れ、(T_T)さらには一番最後に使うはずだったりこさんの電動タンプーラが故障し(T_T)なんかいろいろとあったライブでした。

ライブのことはそんなんで。こないだのことだが、今年はじめてサンダルはいて仕事に出て行った。旦那が家にいないので駅まで歩くことに。しかし最寄りの駅につくまえにすでに足に靴擦れが・・・。毎年のことだけど最初のサンダルばきは辛い。冬の間スニーカとかぺたんこの靴しか履かなかった足がぺたんこに広がってる状態で、涼しいとは言えあの窮屈な靴を履くといっきにぎゅーーーとしめつけられて痛々しい靴擦れがたくさん出来てしまう。もうそのあとは駅から歩くのがつらくてつらくて。いっそ脱いで裸足で歩きたいよ〜!
またそんな時に限って昼大阪、夜京都、なんちゅースケジュール(T_T)痛みを一歩一歩こらえながら駅から仕事場、そっからまた駅、仕事場、駅。歩きましたとも!
しかし素朴な疑問。そうやって苦しみながらのろのろぺたぺた歩き、回りの女性の足下を見てみると大半がやっぱりサンダルで涼し気な顔してしゃなりしゃなりとあるいておられる。みんな痛くないのか!?それともやっぱり美しさの為には痛くても涼しい顔してガマンしているのであろうか。
ハー女ってたいへんやなー(←お前がいうな)

■2003.6/2 医者の話

はやいもので2003年もやや半ばである。最近なんだかこうしてあっというまに時が過ぎて行く。ときどき、あれ?今年って平成何年だっけ?などというようなこともあり、こないだはおもいっきり領収書に平成14年とか書いてしまった。恥。

ここのところ、風邪と九州での山のドライブの影響だろうと思うけど耳の調子が悪くなり、ずっと耳鳴りが聴こえたりトンネルに入った時のようなキーンという感じがしたりしてる。先日耳鼻科で見てもらった所、最初はノドの腫れが引けば治るでしょう、といわれ、お薬も出無かったのだけど、やはりその後もずっと耳鳴りに悩まされてもういちど耳鼻科へ行った。

ところが先生には「見た所問題ないです」と言われ、「いやでもすごく耳鳴りがするんですよずっと。」と言うと「うーん、検査でも見た所でも耳は問題ないです。精神的なものじゃないですか?悩みとかありません?」とかいう。全くもって悩み等なかったが、だいたいその言い方が微笑を浮かべて仰るし、本気で悩みをきくつもりなど皆目なさげでなんかみょうに腹が立ち、検査ったって単純な聴き取り検査だけだったし、自分としてはやっぱり耳が普通じゃあないと思ったのだけどなんとなく、もうこれ以上何言ってもしょーがないな、と思い、次にもいっぱい患者さんが控えてたので何も言わないで帰った。

で、それからは耳鳴りがしてるのはなんでなのかなと気にすればするほど耳鳴りが気になって、夜もひとりでふとんに入るとざわざわうるさくて眠れない。いっときはもう一生鳴ってるんだろうかと思うとどうしようもなく辛い気持にもなった。結局の所。だいたい「精神的な苦痛」を与えてるのはあの医師の方だったという結論にいたった。あそこで医者が「問題ない」と言わず「不明」或いは「私では分からない」と言えばもう少しすくわれたかもしれない。医者が私の体を問題ないと言うならなんでこういう問題(耳鳴り)があるのか。

あとで耳鳴りの事をいろいろと調べた結果、ちょっと気分が楽になった。分からないから不安で、不安だからよけいに耳鳴りがしてたような気もする。とにかく耳鼻科は人が多くて、一人に対する時間はすごく短いのでそんなことをいちいち説明するヒマもなかったのだろうが、「問題ない・精神的なものでは?」とだけ言われればかえって不安になるのは当然の事だった。

いくら進歩した医学と言えども限界があるものである。極端な話かも知れないが。その限界ある医学で解明できてないことや、ひとりの医師が知らない事を「問題ない」と言って片付けるのはいかがなものか。医者にかかろうとする人はいろんな人がいるけど、どうしようもなくてすがる思いで行く人にしてみれば軽いひとことでとても傷付いたりするもんである。それで医者嫌いになった人も少なく無いだろう。医者が選べないような状況の人間ならばもっと深刻な問題になりかねない。

・・・というようなところまでいろいろ考えたあげく。自分の体については自分がイチバン敏感に感じるものなのだから、病気の症状についても自分でも知識を持つべきだし医者に頼る頼り方もキチンと考えなくてはと思ったのでした。

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