日々雑多(2004年.2月)

■2004.2/29(日)サンデーライブ

さて、今日は武庫之荘においてトゥジュールのライブ。演奏は満足のいく出来だったのだけど、コンサート全体としてはいろいろと課題が残った。まず集客が少なかった事。日曜恒例のライブとして開催されているサンデーライブなのだが、その殆どがジャズであるため、クラシカルアンサンブルと聞いて行こうと思わなかった常連さんがいたのではないかと…。もっともその内容がどんなものか曲目も書かれていないチラシを見ただけではきっとわかりにくかったのだろうと思うけれど、ではどうすればよかったのだろうか?という疑問。あと逆に考えると、メンバーの声かけをのぞくと、集客力は限られたモノなんだなぁ、というガッカリ感があった。やはりここらでちょっと、トゥジュールの進む道をもういちど考え直さないと、と思った。
トゥジュールは幸いリピーターが多い。一体なんども足を運んでくださっているお客さんはトゥジュールのどこに魅力を感じてくれているのか、どんなことを期待してくださっているのか…実はせいぜい自分の知り合いor先生であるメンバーのお義理で来てくれてるのだろうか?という不安もなくはないのである。

■2004.2/26(木)梅小路公園

今日は母と妹と一緒に快晴を機関車がいっぱいある梅小路へ行ってきた。喜んではいたのだがやっぱり実物の蒸気機関車がどうにも怖いらしい。たしかに。怖いと思う。でかいし真っ黒いし大きな音がするし。で、ずっと汽車のちかくではだっこしっぱなし。だったら近寄らなきゃいいのにそれでもやっぱり見たいらしい。機関車のデザインってすごいかっこいいなと思う。ブラック一色ってほんと渋い。

ちょうど「もく」曜日なので、こんな話など。「もとのもくあみ」という言葉の由来は大和郡山での出来事からきてるそうだ。その昔、郡山城の城主が病で亡くなってしまったおり、後継ぎが幼いため城主がいなくなったことを知られては攻めてこられる心配があるとして城主に声の似ている「木阿弥」という名前の人物を影武者として立て死んだ事を伏せておいたそうである。貧しい身分からいっきに殿様に仕立て上げられたかと思うと、後継ぎが成長し影武者の用が無くなった頃、木阿弥はもとの貧しい身分に返されてしまったという。
だから「もとのもくあみ」は英語になおしたらyamatokoriyaman dreamとでもいうべきか。すごいな大和郡山!…って良く考えたらあんまりいい言葉じゃないよな。
やっぱり人間、地道に努力しなくちゃね。(←してるのか?)

■2004.2/22(日)フィーバー!

せっかくなので22時22分になんかしようと思ったが…。(何を?)

それにしてもなんだか急に春が来たように暖かいここ2,3日。快晴を寝かし付けに寝室に入って、快晴がハロゲンヒーターをつけてくれたときに「暑い」と感じた時の感動はなんともいえない。夜にパジャマ一枚で布団の上に大の字になってもぜんぜん寒くない!それどころか毛布がうっとおしいくらい暑い。いつもなら夜の忍び寄るような寒さによる肩凝り・末端の冷えがオソロシくてそんなことできやしないが…。暖かいっていいな〜。しかしなんだか、異常ではある。まだ春分まで一月あるのに、こんなに早くあったかいってどうなの?

これだけ暖かいと快晴と気持よくお散歩できるのがありがたい。どんなに寒くてもヤツは容赦なく「じてんしゃのってでんしゃみにこー」だからなー。
最近、お気に入りのお散歩スポットの堤防がある。そこからは遠くにJRの線路が見え、幅が広いにもかかわらず車は通れないようになってる。ふさふさしたやわらかい枯れ草におおわれてるので、天気の良い日は寒くて多少風が強くてもねっころがったら風も当たらないし、とってもぽかぽかしてきもちいい。サイコーである。けど最近、近辺の堤防はのきなみ鋪装されて車が通りやすいようになってる。いずれそこもアスファルトで鋪装され車が通れるようになるのだろうかな。とてももったいないのだけど…。

■2004.2/10(火)

 寝ようと思ったらハーボットがごはんなくてがっくりしていたのでなにか書こう。(不純な動機)
今日は産婦人科にてオカリナとサクソフォンを吹いてきた。5回目の演奏になるのかな、快晴がまだ赤ん坊の頃から行かせてもらっているけどあのころはまだまだオカリナもへたくそやったなあ。オカリナは特に教えるようになってから自分自信大分上達したような気がするのだ。妊婦さんに生演奏を聴かせる産婦人科ってすごくええなあ〜と思うのだが、サックスでffはやっぱりかなり大音量になるので気を使う。爆音が原因で陣痛始まったらどないしよう・・・とか・・。まあ場所が産婦人科なので陣痛はじまっても大丈夫なんだけど。
妊婦さんを見ると親近感が湧いて妊娠時代を思い出したりしてたけどだんだんとその記憶が遠くなっていってる。いいかげんな形でも、多少の記録を残しておいてよかった、と心底思う。しかし、過去の記憶を大切にしようとするのはだんだん年とってきた証っぽい。

最近の快晴の日本語。「あっそうだ!〜しなくっちゃ!」といってなんか生活習慣をする(寝る前の電気消しとかそういう)。今日はお昼、カンヅメみかんを食べながら「のんじゃった!」・・・それは食べちゃったの間違いじゃないの?いや・・・確かに噛まずに飲んでるからあってる。「よーし、もうひとつのんじゃおっと!」・・・ウムムいずれにしろ完璧な日本語じゃ。脱帽。
てな具合で最近言葉が完璧になってきてるので感心なのだけどちょっとさみしい。幼児期特有のかわいい言葉がだんだん減ってく・・・。「ぽんきゅーたー(コンピュータ)」が健在なのでそれは大事に守っていこうと思う。本人ができるだけ長く間違いに気付きませんように・・・(なんちゅう親じゃ・・・)

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